賢者の塔は魔術研究をしているし研究会もあるだろうということで
賢者の塔に設けられたホールは、多くの人で賑わっていた。話し声や足音、そして熱気も絶え間ない中、不思議と雑然さがないのは、研究会という場が持つ特性なのかもしれない。 そんな独特の空気を肌で感じながら、サトルは隣に座るタケルをちらりと見た。普段は冷静沈着な弟が、唇を引き結びながらどこか落ち着かない様子で、手元の紙に視線を落としている。 緊張しているのだ。表情の動きは些細だが、わずかに強張っているのを、サトルは見逃さなかった。 賢者の塔に所属していないタケルだが、彼は冒険者稼業の合間を縫っては一般枠で度々参加していた。研究発表自体はとうに慣れたもので、これまでは発表に参加するという日も普段通りであったが、今回は彼が尊敬する学者も傍聴に来るのだという。さしもの彼も、平常心ではいられないようだった。 サトルは魔術の研究には門外漢であり、いつもはこんな風に同行することはない。それでも今日こうして隣にいるのは、珍しく緊張に強張る弟を放っておけなかったのだ。 「タケル」 わざわざ『大丈夫?』などとは聞かない。代わりに、水筒をそっと差し出す。彼が今朝からあまり飲み物を口にできていないことに、サトルは気付いていた。 「……ああ、すまない」 一瞬戸惑ってから、水筒を受け取って口をつけるタケルに、サトルは思わず微笑む。彼がこれほどに緊張する姿を見るのは、なんだか新鮮だった。ただ今回は、その珍しい姿を見るためだけについてきたわけではないのだ。 タケルから空になった水筒を受け取ると、サトルはその頰に手を添えて、額に軽くキスを落とした。幼い頃からの『おまじない』だった。大人になろうと、どんな関係になろうと、たとえ人間でなくなっていても、それは変わらない。だからこそ、与えるのは照れではなく安堵だった。 目を閉じておまじないを受け取ったタケルが、ゆっくり目を開ける。強張っていた表情は少し和らぎ、呼吸も深くなったように見えた。 やがて名を呼ばれ、眼鏡を直しながらタケルが立ち上がる。いつもの、凛とした立ち姿に目を細める。 「──行ってくる」 「頑張ってね」 サトルはひらりと手を振り、壇上へ向かう彼の背を見送った。