吸血鬼の眷属の子を作ったのでお迎え話。モミのお迎え話「森の奥から」より後。
神などいない、と少年は土の下で思った。
ある貴族の元に生まれた少年は、器用で、頭が良く、見目も良かった。多少人見知りするが、なんなら身体能力も貴族の一子にしては悪くもない。
彼こそ次代の当主であると目されるのは当然で、娘を婚約者にと貴族からの連絡が途絶えることはなかった。
当然両親には大変可愛がられ、人生順風満帆とは彼のことだ、と少年を知る者は言っただろう。唯一、兄の存在を除いて。
その兄こそ、少年がこうして土の下にいる原因である。
およそ平凡であった兄は、しかし人一倍自己顕示欲が強かった。とはいえ貴族としては通常持ち得る程度のそれだったろうし、あからさまに弟ばかりを贔屓されて気分の良いはずもないが、出来の良い弟への妬みもおおいにあったことだろう。
両親にも気付かれぬまま、呪術者に依頼して弟に呪いをかけ、仮死状態にしてしまったのだ。
唐突な悲報に当然両親は慌て、医者や教会に相談するも治ることなく――正確には、兄に金を握らさせれて有耶無耶にされただけなのだが――なんやかんやと少年はついに土の下に埋められてしまったのだった。
思えば埋葬を急いだのも兄だったか。『埋葬しないのは死者への冒涜だ』だのと、判断能力を失った両親を言いくるめて。
仮死状態とはいえ呪いという人為的なものであったためか、少年の意識は無自覚に揺蕩っており、先ほど目覚めてから耳にした言葉すべてを思い出せた。
『お前が悪いんだ』などと言う兄の言葉が、脳にこびり付いている。
さて、目覚めたということは呪いの効果が薄まってきているということ。これまで仮死状態を維持されていたからこそ、埋められても本当に死なずに済んだのだが、呪いが解ければ次は窒息死だ。
死んでたまるか、と少年は思った。苦しいのは嫌だ。
生き返りの不器用さを生来の器用さで補って、棺の蓋は開けることができた。その上は土なので、今度はこちらをどかさなければならない。
少年は力はあまり強くなかったので、代わりに魔術でどうにかしようと考えた。とはいえ、少年が覚えているのは魔法の矢とちょっとした身を守る術程度だ。
(魔法の矢で土をどかして……どかし方が悪いと窒息するから、魔法の鎧で……顔周り程度なら足りるでしょうか)
時間の猶予がないことは分かっている。急ぎ実行することにした。
しかし土は厚く、魔力の枯渇も早く。
(あと……少しなのに……っ!)
手で土を掻いても、魔法の矢で抉った量にはとても及ばない。魔法の鎧も解けてきて、一気に息苦しくなってくる。
慌てても状況は変わらず、けれど少年はただ必死で土を引っ掻くしかなかった。嫉妬と悪意に侵された兄はもちろん、冷静さを失った頼りない両親にも、金に踊らされる周囲にも助けを求める気にはなれなかった。そうなれば、縋れる対象はもう神様しかいなかった。
いや、嫌だ、とにかく生きたいだけなのに。僕にこんなことをした兄にも両親にも復讐なんて思わないから、だからなんとかしてよ神様。聖北聖海いっそクドラでも、助けてくれるならなんでもいい。
(助からなかったら……一生恨んでやる。みんな、みんな、……)
右手を土に突き立てたのを最期に、少年の意識は遠のいた。
「起きたか」
「……え?」
はっと意識が戻ってきて、一瞬現と夢を見失う。
慌てて周囲を見回せば、家の庭に植えられた木々の影に寝かされていたようだった。天国にしてはそっけなくつまらない景色なので、おそらく現実なのだろう。幽霊になったにしても、足はあるし話しかけられている。
夜闇にあって視界はやけに明るく、傍らで木に凭れた人の姿かたちもよく見えた。
黒髪と、赤い服の青年。眼鏡をかけているが、その奥は黒目で、ここらでは少し珍しい。
「あれ……あれ……?」
「墓の下から生命力を感じたと思ったら、子供の手が出てくるから驚いたぞ……」
そういえば最期にはがむしゃらに足掻いていた気もする。ということは、やれやれとため息を吐くこの人が助けてくれたのだろう。
とはいえ、自分は明らかに瀕死だったはずだと冷静に思い返す。なまじ生き長らえたとして、本来なら後遺症の一つは残っていそうな状況だったろうに、脳は埋められる以前通りに動いている……と思う。
ずいぶん元気そうな己の体を不思議そうに見つめる少年に、青年は静かに言う。
「医者に見せる時間もなければ、俺に人間を瀕死から蘇らせるほどの術もなかったからな」
黒かったはずの目が、赤い月のごとく妖しく煌めいた。
「……吸血、鬼?」
「悪いな。サトルがいれば別の手段もあったんだろうが」
呟かれた名前のことは分からなかったが、己の状態にようやく合点がいった。夜が明るいのも、夜の寒さを感じないのも、違和感を覚えて舌で触れた歯が、尖っているのも。
少年は少しだけ震えて、ふ、と息を吐いた。吸血鬼が訝しむのに、抑えきれなかった笑みを向ける。
「僕、生きてるんですね。いい、いいです。僕、こんな家にもいたくないし、助けてくれなかった神様も嫌い。助けてくれたものと同じになったならそれでいいです」
驚くほど未練はなかった。考えたこともなかったけれど、もしかすると、己は生きることへの執着が強い方だったのかもしれない。
そうか、と呟く吸血鬼の視線は和らいでいた。
「それなら、うちに来るといい。種族なんぞ気にするやつもいないし、なにより世話焼きが多いからな」
「あなたが良いなら」
「どことは聞かないのか」
「どこでも、ここより悪いことはないでしょう。そういえば、あなたはどうしてここに?」
少年の返答に少し呆気にとられてから、ああ、と吸血鬼が答えることには、彼は冒険者でここには依頼で来ていたのだという。
「お前の死の調査だ。今になって少し冷静になったようだな」
「はぁ……今更ですね」
「医者や教会がお前の呪いを見破れなかったのも、単に金を積まれていただけのことだ。胸糞の悪い話だな」
袖の下については驚きもしないが、淡々としていた吸血鬼の表情が忌々しげに歪むのを見るに、どうやら良くない思い出があるらしい。
「僕に呪いをかけた人は?」
「不味い血だった」
なるほど、土の下で仮死状態が解けたのは呪いが自ずと弱まったからではなく、術者が死んだからだったようだ。
それにしても、たまたま不味い血だったのか、血というものが不味いのか少し気になってしまう。元貴族らしく、舌は肥えているのだ。
「それで、僕はこうなりましたけど……どう報告するんですか?」
「そうだな……お前は結局死んだことにするのが一番手っ取り早いんだが」
「ああ、いいですよ、それで」
「そうか……」
吸血鬼の返答がどこか呆れ混じりに聞こえるのは、あまりにあっさりと答えるからだろう。
だって、本当に未練が無いのだ。復讐どころか恨みの念すらなかった。たぶん、この場所に失望したのだ。
「報告は明日の朝……を待つのも面倒だな。さっさと済ませてくるから、ここで待っていろ」
分かりましたと頷くと、いつの間にか目の色を闇色に戻していた吸血鬼はマントを翻して屋敷へ入っていった。
手持ち無沙汰になり、影に紛れてこれからを想う。
(吸血鬼で……冒険者か……)
ここさえ離れれば、少年は新たな生を歩むことになる。それはきっと様々な危険を伴うのだろうが、一度死んだ身なら怖くはなさそうに思えた。
冒険者のことは知識はあるが、吸血鬼としての生き方はさすがに考えたこともなかった。助けてくれた吸血鬼は、『うち』に世話焼きが多いと言ったが、(彼が気付いているかどうかはともかく)彼自身も含んでいるように思う。
さしあたっては、要らなくなった『ジュリアス』という名を捨てた後、何と名乗るかを考えなくては。
――帰路にて。
「あの、血ってやっぱり不味いんですか?」
「個人の好みがあるから一概には言えないが、まぁ、味の差はあるな」
「僕『グルメ』だから難しいかも……あなたの好みは?」
「俺はやっぱりサ……」
「?」
「…………砂糖でできたような、処女が、無難だと思う」
「(いきなり詩的な表現した……)」
「んま~~~これまた将来有望な子じゃない! あたしララ!」
「僕ヒカル、よろしく!」
「っ! よ、よろしく……お願い、します」
帰還後、簡単に説明した後に仲間である戦士と盗賊に顔を近付けられて驚いたのか、少年は――帰りがけ、ユーリスと名乗った――俺の後ろに隠れてしまった。この二人、やけに陽気なコミュ力の鬼なので、性格によっては気圧されてしまうことだろう。
事実、二人よりずっと大人しいアスカにはまともな挨拶ができていた。
「タケルが眷属なんて、珍しいね」
「まぁ、そうしないと助けられなかったのもあるし、何より吸血鬼としての素質もあるようでな。生き汚いし」
「生き汚いって、言い方……ん?」
気付けば、ユーリスが俺とサトルを見比べては難しい顔をしていた。パーティメンバーについては伝えてあるから、この双子の兄のことも承知しているはず……と考えて、ふと思い出す。
兄の存在を聞いた時の、表情と同じだ。過去を捨て去ったようでいて、本当にすべて割り切るにはまだ幼いのだろう。
「どうしたの?」
「…………いえ」
「安心しろ。こっちは呪いをかけるどころか他者を救うために自ら呪いを食って死にかけるようなやつだ」
「も、もう、それは反省してるから! そ、そんなことよりもね、」
サトルが視線を向ける先、木の葉の髪を揺らしてモミが顔を覗かせている。少し緊張を見せているが、メイに軽く背中を叩かれるとこちらへ寄ってきた。
ユーリスのような人見知りではなく、好奇心が抑えられないといった表情。
「は、はじめまして! モミは、モミです! すごく親近感あります!」
「は、はぁ……」
褐色の小さな手に手を取られ、その上おひさま笑顔でぶんぶん振られて目を白黒させている。潜在的コミュ力の鬼がここにもいたようだ。
「この子は俺と契約した精霊なんだけど、生まれ変わった同士仲良くなれると思うんだ」
「生まれ変わった同士……ですか?」
「そうなのです! あのですね、モミはこの前――」
多少たどたどしくも己がこの宿へ来た経緯を話すモミに、ユーリスも徐々に落ち着いたのか、話に聞き入る様子を見せはじめた。
幼子同士が各々のペースながら相手に歩み寄ろうとする様は、人外であることを差し引いても微笑ましい光景なのだろう。視界の端に映った宿の娘さんは、尊いものを見る目をしていた。確かに冒険者なんて荒くれが集う宿でそうそう見られるものではないだろう。
ユーリスには後で色々説明を加えるとして、困惑こそあれ振り払わない以上、嫌悪は無さそうだ。
「……安心した?」
「何の話だ」
ふふ、とサトルが訳知り顔で笑ってくるので、鼻の頭を抓ってやった。
ジュリウス→ユリウス→ユーリス。
呪いで死にかけたのと生まれ変わったあたりがモミとの共通点。