とある一夜に還る精霊と戯れる。シナリオのリプレイではありません。

 くるくると踊る夜色の裾を見つめる。水面に触れて濡れているはずなのに、それは不思議な軽さで宙を舞っている。
 軽やかなのは裾ばかりで、ダンスの心得など持ち得ない彼自身はただただ湖で歩き回っているだけなのだけど、足元にまとわりつく幼子を相手するような動きにもよく似ていた。
 実際彼にとっては『そう』なのだろう。水中から立ち昇る光が彼に触れては離れて、やがて満足したように満月へと昇っていく。時々立ち止まって月を見上げ、その様を見送る彼の表情は、庇護対象を見守る者のそれだ。

 今日の依頼は廃墟に現れた魔物の退治。思ったよりも数が多く、掃討し終わる頃には夕日が沈まんとしていた。夜中に慣れない森を歩くのは自殺行為であることなど、身にしみて久しい。比較的開けた場所にキャンプを張り、明日早朝に出ることとなった。
 そんな矢先、不寝番だった俺の耳にかすかとはいえ水音が聴こえて来たら警戒するのは当然で。聞き慣れた声が混ざっていたのもあって様子を見に行った先にいたのは、先に眠っていたはずの兄――サトルだった。
 この廃墟はもとは神殿だったようで、大きくはないが湖を有していた。水や光の精霊と懇意だったみたい、と言っていたのも精霊術師である彼だったか。水音の元はまさにその湖で、聞き慣れた声が混ざっていたのは、彼がその湖のただ中にいたからに他ならない。
 敵は掃討したはずとはいえ、警戒に欠けやしないか。そう文句を言おうにも、光と……おそらく精霊らと楽しげに戯れる様子に出ていくことすら憚られた。
 ふと水の跳ねる音が止まる。
「……ね、いるんでしょ」
 誰への問いかけかなど、考えるまでもない。ため息を一つ吐いて、影から出る。彼にまとわりついていた光がざぁっと引いて、波のようだと思った。
「そこまで無粋なつもりもなかったからな。文句は色々あるが」
「うん、ごめんね」
「それで、これは?」
 水面を『歩いて』戻ってくるのに尋ねつつ、この湖はそれほど浅いのかと疑問を抱く。覗き込んだ湖は透いているのに底が見えない。清浄ではあろうが聖なるものではあるまい、と試しに触れてみるが、服を捲くって肘まで浸けてみても底らしき感触はなかった。
「ここの精霊たち、今日で消える……いや、還るんだって。だから見送ってた」
「ああ……神ではないにせよ、信仰を集めていたようだしな」
「そう、人と共生関係になってしまっていたから、人のいない今は存在を保つのも辛いみたいで。だから一度還ってやり直すんだって」
「そうか……」
 冒険者がてらに探索もしたが、独自の宗教に関する石碑がわずかに残っていただけで、結局この神殿が廃墟となった原因は分からず終いだった。そこは歴史家か専門家に任せておけば良い話だが、人が消えたことで生きていけなくなった精霊らには多少遣る瀬無さを覚えなくもない。
 ――そこで『やり直し』を選べる存在であることへの嫉妬もわずか覚えつつ。
「みんな人好きするこたちだから、最期に俺たちが来たのが嬉しいみたい」
「ここに来た理由は魔物討伐の依頼でしかないがな」
「無粋なつもりはなかったんじゃなかった?」
 苦笑を向けられても性分だし、事実を確認せずにはいられないたちなのだから仕方がない。反論しようとして、彼が頭から少し濡れていることに気付く。光と戯れている間そこまで水に浸かった様子はないし、湖の深さに反して水面を歩いてきたりとなにかと不可解だ。
「あ、これ? さっき水の精霊に一回沈められちゃって」
「は!?」
 思わず湖を睨みつけたら水面ごと引いていった……気がした。
「一瞬、一瞬ね!? 支えてもらっていたのを一回だけ放されたんだよ、ちょっとしたいたずらだしちゃんとカバーはしてもらってはいたから水飲んだとか溺れたとかそんなの全然ないから! ほら濡れてるのもちょっとでしょ!? 俺もびっくりして声上げたくらいだから!」
「ああ……そういうことか……」
 諸々の疑問が解決し、ため息を吐くと、彼だけでなく周囲までが安堵したように空気が緩むのを感じる。水音と同時の声はそのいたずらによるものだったようだ。

「なーんだ、ほんとに子供みたいじゃんね」

 突如割り込んだ声に振り向くと、これまた眠っていたはずの盗賊の少女――ヒカルが暗がりから歩み出てきた。格好こそ夜着だがさすが本業、まったく気配を感じなかったところが末恐ろしい。
「だから大丈夫って言ったじゃなぁい」
「でも万が一何かあったら大変ですし……」
「そこ二人って変なとこ抜けてるしな……」
「それこそほんとにヤバかったらヒカルが何かしら動いてるわよぉ」
 数瞬空けて残りの三人もやってくる。ヒカルがにんまりとした笑顔を向けてくるのが少し腹立たしい。いつから見ていたのかなど問うのも無駄か。
 一緒に驚いていたはずのサトルは湖に向き直ると、ちょいちょいと手招きしはじめた。暗くなっていた水面がぼんやりと光りだし、やがて粒子が恐る恐るといった風にこちらへ寄ってくる。
「みんな俺の仲間だよ、こわくないよー」
 にこにことそんなことを言うので、完全に毒気を抜かれて額を抑える。メイがぽんと慰めるように肩を叩いてきた。
 ふよふよと光の一つが鼻先までやってきては、興味深そうに周囲を回ってくるので、精霊らの警戒を解く効果もちゃんとあったようだが。
 人と共生関係にあったらしいというだけあって、精霊らは本当に人好きするようで、パーティ全員がすっかり光の粒子にまとわりつかれていた。満月へ昇っていく光がさきほどより少ないということは、見送る人の増えたこの場を精霊らも名残惜しく楽しんでいるということなのだろう。
 指先に光を集めて魔術師ごっこを楽しむヒカル、それをやんややんやと盛り上げるララ、メイの髪にとりついた光にそっと触れるアスカ――サトルといえば。
「タケル」
 再び水面に足を浸けて、こちらへ手を伸ばしてくる。パーティもこの調子であるし、あくまで空気に呑まれただけだ、と己に言い訳しつつ。
「落としたら承知しないからな」
「さっきの睨みで反省してるから大丈夫だよ」
 水が染み込むのも困るので裸足になって、手を取られて水面に立つ。多少冷たくはあるがひんやりとしたそれだけだ……というのは己が吸血鬼であるからというより、平気そうなサトルを見るに精霊の力かもしれない。そういえばカバーがどうとか言っていたか。
 まとわりついてくる光の粒子に照らされながら、夜水の上を歩く。
 存外に悪い気分ではなかった。

絵を描こうと思って、
設定を詰めようとしたら小話になった。

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